2023年2月12日 アンディ神父様メッセージ

神様の律法

(マタイ、5.20―22a、27-28、33-34a、37)

 皆さん今日の福音書も引き続き、山上の説教の一部です。山上の説教全体を見れば、それは神様が望まれる人間の生き方を、愛という一点に集中させる「愛による完成の道」を説いています。また、人間の力ではなく、神様への信頼の内に神様のみ旨を果たす「神様による完成の道」だと教えています。

 今日の福音書の中で、イエス様は律法について次のように仰いました。「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」

 イエス様の時代のユダヤ人、特にファリサイ派や律法学者は熱心に律法を学び、守ることこそ、神様に従う道であると確信していました。そして、それを貫くために死に至るような罰を与えました。イエス様は決して律法や預言者を否定しませんでした。しかし、イエス様の律法に対する態度は、律法学者やファリサイ派の態度とは明らかに違っていました。

 つまり、彼らは掟の文字を守っても、掟の心を忘れていました。例えば「殺してはならない」という掟は理解していても、それが「兄弟に腹を立てる」「ばかと言う」「愚か者と言う」ことが、それらと実は繋がっていることを理解していなかったのです。

 「殺す」とは外面的に「殺す」ことだけではありません。例え人を殺さなくても、憎んだり侮辱したり、差別やいじめによって、十分に人の心を苦しめるのです。それは「殺す」ことと同じ痛みです。

 それに対して、イエス様は弟子達に自分が教えた律法を真摯な気持ちで理解するよう教えました。全ては神様から愛を受けた体験から始まります。掟の実現とは人に対してその愛を分かち合うことです。愛の法則は、敵とみなされる人々がもはや存在しなくなるまで、全ての人間を愛しなさいということを意味します。イエス様はあくまでも、人の一生を律法の光、特に「愛」に貫かれていると説いておられます。

 今日の福音書を通して、私達も自分自身に問いかけてみましょう。私は、他人に対して不当な言葉や不適切な言葉をかけているでしょうか。ほとんどの人は、ご自分はほぼ正しい言葉や態度で生きていると答えると思います。でも本当にそうでしょうか。残念ながら私達は相手の心の底まで理解することが出来ません。うっかり他人を非難し、卑下しても気が付かない時があります。もしあなたが掟に従って正しい事を言ったとしても、相手を傷つけることがあるということを心に留めておいていただきたいと思います。

 私達は日常生活の中で、お互いを尊重し合う必要があります。そうすれば、誰も私たちの生活から排除されたと感じることはないでしょう。私達はイエス様の求めている生活、愛を貫く生活を続けていきましょう。

 ところで、数日前、トルコとシリアで壊滅的な地震がありました。今回の震災により、約21.000人以上が亡くなりました。全てを失って何も進めない方、希望を失った方がたくさんいます。今こそ、神様が望まれる人間の生き方を、愛という一点に集中させる「愛による完成の道」のために、今私達は何ができるのか考えていただきたいと思います。そして被災者や亡くなられた人たちのための祈りを続けて頂きたいと思います。私達の支援と祈りが、彼らに新たな希望をもたらすことができますように。ご一緒に黙想いたしましょう。

主の平和