2022年5月1日 アンディ神父様メッセージ

「ヨハネの子シモン、この人達以上にわたしを愛しているか」

 皆さん、主の御復活おめでとうございます。今日、私は福音の後半の部分をとり上げたいと思います。「人間に従うよりも、神様に従わなくてはなりません。」と、ペトロと他の弟子達は勇敢(ゆうかん)に宣言しました。何が、彼らをこのような勇敢な福音宣教者にかえたのでしょうか。それは彼らが復活したイエス様と出会ったからだと思います。

 イエス様の復活の知らせを、弟子達はすぐに喜べませんでした。なぜならば、彼らは捕(と)らえられたイエス様を見捨てて逃げたのです。その三日後にイエス様の復活の話を聞いて彼らはどんな気持ちになったのか、皆さんも想像してみてください。

 大祭司の庭で自分を守るため、三度もイエスの御言葉を否定(ひてい)したペテロは心に大きな傷(きず)を残しました。その結果、自(みずか)ら弟子であることを辞(や)め、漁師(りょうし)に戻ろうとしたのかもしれません。

 ですが復活されたイエス様は三度、ペトロに訊ねました。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか。」するとペトロは心からの思いを込めて三回繰り返して答えました。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたはご存じです。

さらにイエス様はペトロに三度言いました。「わたしの小羊を飼いなさい。(21・15) 」 「わたしの羊の世話をしなさい。(21・16)」「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」(21・17-18)

 信仰から離れて漁師(りょうし)になろうとしていたペトロは、復活されたイエス様に出会うことで、再びイエス様の御言葉に従うことが恵みであるということ、そしてイエス様がいつも自分と共にいてくださると改めて感じたのではないでしょうか。 

 イエス様がペテロに求めた「自分の羊の世話をする」という使命は、良い羊飼いは羊のために命を捨てることが出来るということです。良き牧者とは群れを養う牧者です。悪しき牧者とは自分自身を養う牧者、つまり「羊を自分の食い物にする」牧者です。良い牧者の働きは、病めるものを癒し慰め、迷うものを導き、弱っているものを励まし、落胆(らくたん)しているものに希望を示します。ここにおられる皆さんも、良き牧者となっていただきたいと思います。

 ペトロは「私の羊を飼いなさい」というイエス様の呼びかけに愛を持ってこたえ、ローマのヴァチカンの丘で殉教しました。またフランシスコ教皇は、自ら模範を示して、牧者は、貧しい人、苦しみ悩む人、さげすまれ差別された人、孤独に苦しむ人々のための牧者であることを、教えてくださいます。

 イエス様の御復活は我々の知っている「死」とは違います。完全に罪に打ち勝ち、死に勝利したのです。ここには、死の暗さはありません。そして御復活は、弟子たちにとって、イエス様を裏切った過去の清算であり、恐れとの決別です。新しい命に生きるということを意味したのです。だからイエス様の御復活は喜びの出来事であり、うれしくて仕方のない出来事だったのだと思います。

 皆さん、コロナや戦争の影響によって、今までにない不安定で先の見えない生活に、戸惑っておられると思います。これはかつてペトロがイエス様を失った時も同じような状況であったかもしれません。ペトロが信仰心を取り戻し、イエス様の御言葉に従って最後まで「良き牧者」として生涯を終えたことを、私達も見習いましょう。復活祭で新たにした私たちの信仰心が、多くの人々にとってオアシスとなり、救いや希望を示すことが出来るよう、聖霊の導きを祈りましょう。

 

アンディ神父