2022年3月27日 アンディ神父様メッセージ

「憐れみ深い神から学ぶ」

 

 皆さん、今日の福音では「放蕩息子」の例え話が紹介されています。二人の息子に期待し、本来の親子関係を築こうとする父親の姿が伝わってきます。ここでは口先だけの愛ではなく、愛するという行為が大事であると教えています。お腹を空かしているわが子に対して、そっと食べ物を手渡すことこそ親の愛です。そこに言葉は必要ありません。そういう本物の愛から生まれる行動こそ、その子供の成長の大きなエネルギーとなるのだと思います。

「放蕩息子」の父親の行動は、まさに、「愛の行為」です。息子たちは痛いほど父親の愛と温かさを感じたことでしょう。父親の愛の表現は兄弟それぞれに対して異なるものの、同じ価値のある教えであったことがわかります。愛するということを、私たちは生活の中で経験し、感じていることを共有し、またそれを自分の中で感じとることこそが「愛する」ということなのではないでしょうか。

 「愛する」と同時に、私達は赦しを求めに来た人を赦すという行為を「放蕩息子」の父親の教えから学びました。口で「赦す」と言っても本当に心から「赦す」ことは本当に難しいことです。もし皆さんが本当の赦しの行為を求めたいと思った時は、ぜひ、神様の御前で悔い改めを行なっていただきたいと思います。神様は「悔い改め」によって「赦しを乞(こ)う」人々に憐れみ深い方です。 神様の赦しを、そして深い愛を感じていただきたいと思います。

 今日の福音について黙想していると、私は次の詩篇の言葉を思い出しました。「主は憐れみ深く、恵みに富み忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることなくとこしえに怒り続けられることはない。主は私達を罪に応じてあしらわれることなく私達の悪に従って報いられることもない (詩編103.8-10)」。ここで、神様は全ての人が救われることを願っておられます。救い主イエス・キリストを受け入れて、罪赦されて、神の子どもとされ、永遠に神と共に生きる祝福をいただきましょう。

 最近ウクライナの人々は世界各地へ避難しています。私はテレビで一人の年老いた女性が二人の兵士に腕を支えられて、疲れ切った様子で歩いているのを見ました。これを見た時、イエス様の十字架の道行を思い出しました。今の私達にできる事は、祈ることしかありませんが、私は一人でも多くの人と心を共にして祈り続けることは、必ずウクライナの人々の小さな幸せに繋がると信じています。この世界で今現在、戦争の中で苦しみ、悲しみの中で必死に生きている人々やお亡くなりになった人たちの為にご一緒に祈りを捧げましょう。

 

主の平和