2021年12月12日 ボスコ神父様メッセージ

2021-December- 12th. 待降節第三主日(たいこうせつ,だいさん,しゅじつ)(Third Sunday of Advent.)

 

ルカによる福音 3・15-18

「民衆(みんしゅう)は、メシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら、彼が、メシアではないかと、皆心の中に考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かっていった。「私は、あなたたちにに水で洗礼を授(さず)けるが、私よりも優(すぐ)れた方(かた)が来られる。私は、その方の、履物(はきもの)の、ひもを、解(と)く値打(ねう)ちもない。その方は、聖霊と火(ひ)で、あなたたちに洗礼をお授(さず)けになる。そして、手に箕(み)をもって、脱穀場(だっこくば )を隅々まで、きれいにし、麦(みぎ)を集(あつ)めて倉(くら)に入(い)れ、殻(から)を消えることのない火で、焼(や)き払(はら)われる。ヨハネは、ほかにも、さまざまなすすめをして、民衆(みんしゅ)に福音を告(つ)げ知(し)らせた。」

 

 

分かち合い

洗礼者ヨハネを真似(まね)て、ふさわしい方法(ほうほう)でイエス様に会うために謙虚(けんきょ)であり続(つづ)けましょう。(Imitating John the Baptist, let us remain humble to meet Jesus in a worthy manner.)

皆さん、今日私たちは待降節(たいこうせつ)第三主日を迎えています。私たちは、よく知っている通り、待降節の期間は、特に洗礼者ヨハネについての福音を学んでいます。先週の日曜日と、今日の福音朗読の中では、救い主であるイエス様をふさわしく出迎えるために、自分自身の心を、清くする必要について、洗礼者ヨハネは、私たちに、教えておられます。今日の福音朗読の大事なメッセージは「洗礼者ヨハネを真似(まね)て、ふさわしい方法(ほうほう)で、イエス様に会うために、謙虚(けんきょ)であり続(つづ)けましょう。」という、分かりやすい教えです。今日の福音朗読の中で、洗礼者ヨハネは、本当に象徴的な言葉で、話していますが、私たちの救い主であるイエス様をふさわしく、出迎えるように、今日の福音朗読から出てくる二つのことを、皆様と分かち合いたいと思います。

始めに、イエス様の降誕祭(こうたんさい)について、信者である私達は、黙想するとき、一番必要な考えは、本当にへりくだった気持ちと清い心だと、今日の福音朗読で、私たちは、次の通り聞いています。

「民衆(みんしゅう)は、メシアを待ち望(のぞ)んでいて、ヨハネについて、もしかしたら、彼が、メシアではないかと、皆心(みな、こころ)の中に考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「私は、あなたたちに水(みず)で洗礼を授(さず)けるが、私よりも優れた方が来られる。私は、その方の、履物のひもを、解く値打ちもない。その方は、聖霊(せいれい)と火(ひ)で、あなたたちに洗礼をお授(さず)けになる。」

ですから、口先で、話すことだけではなくて、自分の良い生活(せいかつ)と行(おこな)いで、本当に、へりくだった気持ちを見せながら、洗礼者ヨハネは、回心の必要について、私たちに教えておられるのです。この洗礼者ヨハネの、へりくだった気持ちから学びながら、本当に優(すぐ)れた方である、イエス様をふさわしく出迎えるために、自分の罪を回心することが出来るように、こころをあらためましょう。

次に、回心できない、人の 生活は、神様の前で、受け入れられないと、きびしい、象徴的な言葉で、説明しながら、洗礼者ヨハネは、次の通り、言われてています。

「そして、手に箕(み)をもって、脱穀場(だっこくば )を隅々(すみずみ)まで、きれいにし、麦(むぎ)を集(あつ)めて倉(くら)に入(い)れ、殻(から)を消(き)えることのない火(ひ)で、焼(や)き払(はら)われる。ヨハネは、ほかにも、さまざまなすすめをして、民衆(みんしゅう)に福音を告(つ)げ知(し)らせた。」

洗礼者ヨハネの厳(きび)しい言葉で、回心できる人達は、集(あつ)めて倉(くら)に入(い)れる、良い麦(むぎ)です。回心できない人達は、消(き)えることのない火(ひ)で、焼(や)き払(はら)われる殻(から)のような者です。洗礼者ヨハネの言葉は、厳(きび)しいですが、へりくだった気持ちで、この教えから学びながら、自分の、毎日の生活について次の通り考えてみましょう。

毎日の生活の中で私達も、自分の罪の影響で、イエス様から、離れている時が、あるかもしれません。このことについて、回心しながら、あるいは悔い改めながら、自分の心を清くするようにしましょう。その時、私たちは、救い主であるイエス様を、ふさわしく迎える者になると思います。 このような恵みを神様から、頂けるように、このごミサの中で、共に祈りましょう。

最後になりますが、今も全世界でたくさんの人達が新型コロナウイルスの影響に大変苦しんでいます。難しいことですが、この苦しみの中にあって、神様の愛する子供である全ての人々が救われるには、どうすればよいでしょうか。このことについて考えながら病人の回復のために共にに祈りましょう。