2021年10月17日 ビジュ キシャケール神父様メッセージ

マルコ 10:35-45

2021年10月17日(荻窪教会)

 

 今日は年間第29主日を迎えています。みなさま、先週の福音を覚えていますか。お金持ちの若者がイエス様のところに来て、自分が何をすれば永遠の命を受けることが出来るでしょうか、という問いかけでした。この若者が規則正しい生活を送っていたので、自分がこれ以上何もすることはないだろうと思い、自信をもってイエス様に聞いたのでした。この方は、律法をしっかり守っていました。そこでイエス様は、彼に、あなたに欠けていることが一つあります。あなたが持っている財産をすべて、貧しい人に施しなさいと言ったのです。この答えにこの青年は応えきれないで、悲しくなって帰ったのです。つまり、イエス様は言ったのは、あなたが一生懸命に規則正しい生活送っているが、自分にとって大切だと思うものを手放し、人々の役に立てるようにする時から神の救いが訪れるのだと言ったのです。しかし、この青年にはそれが出来なかったのです。だから、悲しくなって帰ったのです。

 では今日の福音はイエス様が弟子たちに向かって言っています。お互いにだれが偉い人なのかと議論するのではなく、お互いに助け合いの精神をもって生きなさいというのです。

 ここでもイエス様は、自分のプライドを捨てて、痛いほど、人々の奉仕に当たるように心掛けるよう呼び掛けているのです。イエス様自身が自分の生活の中で、痛むほど人々の奉仕に当たって弟子たちに模範となったのです。それは、最初の馬小屋から最後の十字架まで、誰もが経験していないことを身に負いながら、模範を示していたのです。

 私たちは、日々の生活の中で、このように、自分が痛みを感じて、人々の奉仕に努めることが出来るでしょうか。また、自分の大切な時間、財産などを人々の奉仕のために手放すことが出来るでしょうか。困っている人々が訪れる時に、どのように対応しているでしょうか。もしかして、今自分が何かをしてあげることによってその方が、大きく変わるかもしれません。私たちの行動一つ一つを振り返って見たいと思います。本当に神様の御旨を確かめながら、日々生きているでしょうか。あるいは、自分の都合に合わせて、自分中心に生きているでしょうか。

 

Biju Kizhakkel