2021年7月4日 浦野神父様メッセージ

 今日(年間第14主日)の福音は、マルコ福音記者が描く「イエスの故郷の会堂」でのエピソードです。イエスを知る人々が、イエスにつまずくという内容です。今日の福音の理解のためには、先週の福音の箇所と並べて読むと、よりよく味わうことができます。

 

 先週の日曜日(年間第13主日)の福音は、「会堂長のヤイロの娘のいやしと12年間出血の止まらない女性のいやし」のエピソードでした。ヤイロと女性に共通する姿が、信仰者の模範として描かれるのに対し、ナザレの会堂に集まった人々が不信仰者として描かれています。

 

 信仰者と不信仰者を分けるものは何なのでしょうか。会堂に集まった人々がイエスにつまずくという設定は、ちょっと皮肉なものです。「教会に集まっているだけでは不十分だ」とイエスは私たちに主張しているかのようです。

 

 会堂長のヤイロと12年間出血の止まらない女性に共通する姿は、真剣に、そして必死に生きようとしている者の姿です。それに対し、今日の福音に登場する人々の姿からは、この真剣さや必死な姿は残念ながら伝わってきません。

 

 不信仰者は、イエスのことを知らない人ではなく、イエスについての自分の理解で十分と感じてしまっている人です。もっとイエスについて知りたいという貪欲さをイエスは私たちに要求される方です。私たちにご自分のことをもっと知ってもらいたいと望んでおられます。イエスは今の私たちの理解をはるかに超えています。私たちに無限の伸びしろがあるのです。それを決めるのは、私自身に他ならないのです。私たちに期待をし、招きを与える方としっかりと結ばれましょう。