2021年6月27日 荒田神父様 メッセージ

マルコ5・21-43

 

 今日の福音箇所では、イエスが二人の女性を救う物語が描かれています。会堂長ヤイロの娘を癒すために向かったイエスですが、この途中に、もう一人の病をわずらう女性の話を挿入することで、二つの話に共通する福音のメッセージをより際立たせていると思います。

 ではこの二つの物語に共通するポイントは何か、というと36節にあるイエスの言葉「ただ、信じなさい」、この一点に尽きると思います。会堂長ヤイロにしても、出血に苦しむ女性にしても、自分でも何とか出来ることは全て行い、手を尽くした結果、もはやイエスに頼る他に無い、という最後の希望としてイエスに癒してもらうように願っています。彼らにとって、本当にイエスを信じること以外になすすべが無かったわけです。そのいわば雑念の無い純粋な信仰をイエスが見届けたからこそ、彼らの望みは叶ったのだと思います。

 しかしながら「ただ、信じなさい」と言われても、私たちにとってそれ以上に難しいことはありません。どうしても私たち人間は、自分の信じるものに対して、それだけの価値があるのかと疑ったり、あるいは一時信じたとしても、自分の思う通りの結果が得られなければ、それでもういいや、となってしまったり、なかなかただひたすらに信じ続ける、ということは容易ではありません。今日の福音の中で会堂長ヤイロも、もちろんイエスを信じて頼ってきたわけですが、途中、娘が亡くなってしまった時には、もうイエスに来てもらう必要が無くなったと伝えました。もう、こうなってしまっては、イエスに頼ってもどうにもならないだろう、とヤイロも考えてしまいました。言い換えれば、せっかくイエスから受ける救いを頼りにしてきたのに、自分から、その救いを受ける可能性を閉じようとしてしまったわけです。そんな時にイエスが言われたのがこの「ただ、信じなさい」という言葉であります。そうした、信じることを諦めてしまったような人に対しても、イエス自身は救いを与えることを諦めていないのです。あなたが諦めてしまっても、私は諦めていませんよ、見捨てることはしませんよ、声が届くと思っていますよ、だから、あなたも恐れずにただ信じなさい、と、イエスは今日のこの福音を通して、私たちに語りかけているのではないかと思います。

 現状、社会的にも良いニュースよりも、毎日暗いニュースがほとんどで、私たちの心も不安が大きくなるばかりかも知れません。どうしてもそんな時は、あれこれと頭の中で考えてしまうことも多くなるでしょうし、現実の生活の中でも沢山不安なことはあると思います。だからこそ、このイエスの「恐れることはない、ただ信じなさい」という言葉が、私たちの頼るべき、心にいつも留めておくべき拠り所となるのであります。どんな状況の中でも、私たち一人ひとりが、ただイエスを信じる、そうした心を持つことができるように共に祈ることといたしましょう。