29日 3月 2020
2020年3月29日、昼間に湿っぽい雪が降りました。
28日 3月 2020
今日のミサの朗読箇所です(霊性センターせせらぎウェブサイトより) 3月29日 四旬節第5主日
28日 3月 2020
今月23日に公開ミサの中止継続について、菊地大司教からのメッセージが出されました。これは小教区での聖週間の典礼の中止を含んでいるので、衝撃的ではありますが、現状を考慮すると、やむを得ない決断であり、決断の背景にある教区長の苦悩や葛藤にも心を向けましょう。...
28日 3月 2020
①入信の喜びに近づく洗礼志願者とわたしたちが、十字架に示された神の愛によって一つに結ばれ、主の復活を待ち望むことができますように。 ②悩みの淵から救いを求めている、すべての人の声に耳を傾けてください。あなたにより頼む人々が、希望の光に照らされますように。...
21日 3月 2020
今日のミサの朗読箇所です(霊性センターせせらぎウェブサイトより) 3月22日 四旬節第4主日
21日 3月 2020
 今月14日に東京の桜の開花が宣言されました。当日は、荻窪教会で翌日以降の対応についての会議が開かれたので、車で教会に向かっていました。車中のラジオで、午後2時に開花について日本気象協会から発表があるというアナウンスがありました。当日は冷たい雨が降る寒い日でしたので、開花宣言はないと思っていましたが、帰りの車中のラジオでは開花が発表されたと報告があり、びっくりしました。その前日は、あたたかな日で、関口の大司教館の前の桜の木には二輪の桜の花が咲いていたのは確認していましたが、標準木はすでに五、六輪以上の開花があったようです。片や先の見えない不安の中にある私たち、一方でそのような状況とは関わりなく、自然の恵みを受けて、それを開花させている桜の花があります。せめてあっという間に散らずに、少しでも長く私たちの目を楽しませてくれると良いのですが。  22日の福音はヨハネ福音書の9章の生まれつき目の不自由な人のいやしのエピソードです。当日の「聖書と典礼」に掲載されているのは短縮版ですので、ぜひ聖書を開いて9章全体をお読みください。  生まれつき目の不自由な人がイエスと出会い、いやされたことがきっかけとなって、想像もしない騒動に巻き込まれていきます。自分にもたらされたいやしが、周囲の人々の様々な思いを浮かび上がらせていきます。妬みであったり、偏見であったり、家族からも見放されるような扱いを受けたり、様々な人間模様が次々と展開されて話が進行していきます。  非常に皮肉なテーマを取り扱っていると思わざるを得ません。自分の身に起こったいやしがきっかけとなり、自分の思いとかけ離れた騒動に巻き込まれるにもかかわらず、いやした本人であるイエスは、騒動の渦中には姿をまったく姿を現しません。「イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、『あなたは人の子を信じるか』と言われた。」(ヨハネ9章35節)  いやされた人がある意味、最も必要としている時には姿を隠し、「彼が外に追い出された」時に、姿を現すイエスについての描写は、何を私たちに伝えようとしているのでしょうか。黙想のテーマでもあります。  再会の期待のうちに、荻窪教会のメンバーを思い起こしながら、また一週間を過ごしてまいりましょう。ごきげんよう。 2020年3月19日 荻窪教会管理者  浦野 雄二
21日 3月 2020
・洗礼志願者の準備を支える教会を聖霊の光で照らし導いてください。神の呼びかけに従う道をともに歩んでいくことができますように。 ・すべての人の救いを望まれる神に導かれ、苦しむ人や圧迫されている人への支援の輪が、教会や社会の中に広がっていきますように。...
14日 3月 2020
今日のミサの朗読箇所です(霊性センターせせらぎウェブサイトより) 3月15日 四旬節第3主日
14日 3月 2020
・洗礼志願者とともに四旬節を過ごすわたしたちが、神のいつくしみに導かれて清められ、信仰の喜びを新たに味わうことができますように。 ・他者を排除し、自己を守ろうとする、人間の弱さに気づかせてください。多様な個性が輝き、尊重される社会を築くことができますように。...
14日 3月 2020
 灰の水曜日以降、東京教区では公開のミサが中止されています。当初の発表では、3月14日までの措置でしたが、さらに3月29日までの主日までの中止継続が発表されました。その後のことは現在、見通しの立たない状況です。私たちにとってはまさに想定外のことです。しかしながら、この状況を一つのきっかけとして、信仰生活、その中心にある聖体祭儀、聖書のみことばを通して神様との関わりを見つめ直しましょう。  新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかかりません。目に見えないウイルスは、国境と無関係に拡散しています。目に見えないものをないがしろにし、すべてを支配する錯覚に陥っている人間をあざ笑うかのような状況が展開されています。こんな形で回心を迫られるとは、皮肉なものです。一日も早い終息を願いましょう。  先日、司祭評議会が開催され、会議は新型コロナウイルス対策に多くの時間が割かれました。その中で、「ミサができない、集会ができないのは事実だが、この状況にあって教会共同体がひとつになる工夫が必要ではないか。できることを探す積極性が問われているのでないか」という意見が出されました。確かにそうです。何か一つの決断をする時、陥りがちなことは大きな目標を掲げてしまうことです。しかし大切なことは、小さな一歩を踏み出すことです。この小さな一歩を積み重ねることです。 荻窪教会の運営に関わる方々と話をして、私が皆さんにメッセージを出すこと、ミサはなくてもご聖体のイエス様と出会う機会を提供すること、荻窪教会の私たちが共通の祈りをささげることを、小さな一歩とすることにしました。再開されるミサへの期待のうちに、共同体の一員としての意識を大切にしましょう。  15日の福音に次のようなイエスの言葉があります。「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(ヨハネ4:21)この世に生きる私たちは、礼拝の場所を必要とする存在です。しかし今日のイエスの言葉は、聖体祭儀の中止を余儀なくされている私たちに大きな慰めを与え、イエスを中心に一つの祭壇を囲む時への希望をもたらしてくれます。 2020年3月14日   荻窪教会管理者  浦野 雄二